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休み明けの・・・

夏休みなどの長期休業明けに学校へ行きたがらない子どもがいます。親としては心配ですよね。「明日、学校嫌だなあ」などと言われるとドキッとしますよね。不登校の始まり?…と心穏やかに過ごすことができません。我が子に限って…と思いつつも、友だちと何かあったのか、先生と何かあったのか、何か我慢し続けてきたのか等々、心配を張り巡らせます。

心理的に不適応を起こしていることは間違いないでしょう。

でも前述したように、問い詰めるのは少し待ちましょう。サポーターとしての大人が先行しては、主役は本当の気持ちを出しそびれてしまうかもしれません。

ここでは「不登校」の是非を伝えたいわけでわけではありません。

リアルにライブに動き続けている「子どもの心理」「子ども事情」に耳を傾けてほしいのです。現象に振り回されるのではなく、言動に焦りすぎるのではなく、一呼吸して寄り添ってほしいのです。

大人の仕事がそうであるように、休み明けに学校へ行くことが億劫になったり、少し長い休みが続くと教室へ出向くこと自体に勇気を要するものです。ただの怠け癖ではないのかもしれません。「今まで馴染んでいた環境が目新しく変化しているかもしれない」「友だちだったと思っていた友だちが友だちじゃなくなっているかもしれない」…

月曜日が「ブルーマンデイ」と言われるのと同じように、9月は「ブルーセプテンバー」などと言われることがあります。質問やあおりの追及をするのではなく、少しだけ遠巻きに且つていねいに観察し、必要があれば傾聴し、エールを送ってあげてください。

自分軸ではなく相手軸で

先生を含む大人は時折忘れがちになってしまうことがあるようです。

大人同士ではしないであろう無礼失礼を、子ども相手だとしてしまうことが…

なぜでしょうね。

その根っこに「育ててあげなくちゃ」「相手は人生経験不足」…

子どもからしたら当たり前でしょ。生まれてきた順番が違うのだから。でも同じ尊い命でしょ。

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③不登校の子どもが安心して十分に教育を受けられる学校環境の整備

「安心して十分に教育を受けられる学校環境」…

きれいな言葉ですね。でもとても難しいことです。そもそも「安心」が得られているのであれば、みな学校へ行きますよ。ではなぜ不登校状態になっているのか?そうならざるを得ないのか?そこを抜きにして「これだけの環境があるんだから。」「これだけサービスしているんだからこっちを向いてよ!」と言っても土台無理な話ですよね。

鶏が先か卵が先かじゃありませんが、「要因は子ども・家庭の中」とみている学校と「要因は学校の中」と捉えている子どや保護者とでは、折り合いがつかずとしても当然です。少なくても、養育歴や家庭環境、経済的側面において(大金持ちという意味ではなく)、習い事もお塾にも通わせてもらえたようなきれいな世界で生きた、そして現在も飲み食い困らず安定した生活を送っている先生に「救ってあげる精神」「俺の差し伸べている手なのに精神」は専らご免です。

失礼。

しかし、「本当の先生」は困っておられるはずです!!

偽善ではなく本気で向き合おう!!そして、この子の未来を!将来を!社会的自立を!18歳の誕生日の前日の姿を想像して「いまだからこそ自分に出来得ること、させていただけること」を真剣に考え努めていらっしゃる先生方も沢山おられます。というか誤解を解くために申しますが、年齢や経験、スキルの差異はあれども、ほとんどの先生方がそうであると信じています。ただ、組織の中にはそうではない人やサラリーマンのように(いや、そう言うとサラリーマンの方に失礼ですね)、「そこに出勤し、何となく滞在していれば安定したお給料がもらえる」「不登校の子どもよりもクラブ指導に生きがいを感じている」「若輩者なのに自己研鑽をしない」「退職金まであと何年かなあ」…等々…。ただでさえ安定している身分なのに世間知らずに「権利だ!主義だ!主張だ!」と叫ぶ、先生?という職業に踏ん反り返っている人が存在するのも事実です。

学校の中に潜む害となる人は皆、「相手軸」じゃないんですよ。すべてが「自分軸」なんです。

公教育ですよ。そこに身を投じ仕えている「全体の奉仕者」ですよ。

先ほど、「先生も困っている」…と述べたのは、「相手軸で真剣に努めている先生」です。当然ですが、ご自身の出産や育休、ご病気や介護等々、先生方も人間ですので勤務時間等についてはご配慮願いたいです。

組織の中のみならず、子どもや保護者の価値観や将来を勝手に分かったように語るような教師人生を送っていらっしゃる身の程知らずの上から目線の先生!…そんな先生に限って「あの子は困った子」「あの親は困った親」等々…はい!?…本当に困っているのは、「学校に不適応を起こしている子どもや保護者ですから!!」ついでに言わせていただくと、あなた方と同じような目で評価されるこちら側なんですけど。…批判してもダメなんですそういう人たちは…根っからのマインドが自分軸なのですから。

話が逸れたようですが、実は逸れてはいないんです。

つまり「環境」とは校舎や教室、机や椅子、トイレ、校内教育支援センター、保健室…等々のハード面のことではないと私は思っています。もちろん、より新しくきれいで別室もきちんと用意されている。これらもとても重要なポイントです。しかし、本当の「環境」とは、結局「人」なのです。

子どもにとって最も大切なことは「人との関わり」です。大人がそうであると同じように、合う人もいれば合わない人もいて当然です。だからこそ国や自治体には、より多くの「教育に人(予算)」を付けていただきたいのです。SCやSSW等の専門家活用もとても大切だと私も思います。しかし、目立つ、際立つ、宣伝になる専門家さん方(非正規雇用)を採用して、「教育にお金使っています!」みたいなのより、「将来有望な若手教員」を覚悟を決めて正採用し、ていねいに育成して、未来の宝である子どもたちに投資してください!!お年寄り教師の退職金予算計上の怖さに、宣伝広告の目くらませや明日にでも首切りができる非正規採用の講師を大量に利用しないでいただきたいです。

当たり前ですが、子どもや保護者の方々からしたら「学校で勤めている人はみんな先生(正採用・免許あり)」と思いますよ。勿論、非正規採用や免許なしの職員方々を否定しているわけではありません。それどころか、よほど一生安定に踏ん反り返る教員より有難いことの方が実は多いのですが…。残念。

「人は人との関わりの中でしか成長できない生物」です。相互作用です。

「オンライン授業しましょう。FAXでの学習支援。アバターでいいので出席扱いにしますよ。」…!?…諸々…それがこの国がかける不登校状態にあるの子どもへの教育機会確保及び環境整備ですか。

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少子・高齢化問題

いやいや何年言っているんですか?分かっていたじゃないですか。

そもそも少子化と高齢化を比較対象、天秤にかけないでほしいものです。

どっちに賭けるんだ!?みたいな。

勿論、高齢化対策、福祉はかげないなく大切で重要課題です。しかし、それによって「少子化」が後回しになっていいのでしょうか。そもそも少子化と「国の未来の宝を育む」は意味が違います。お年寄りの方々を大切にするか、子どもを大切にするか、そんな勘違いをさせられてはいませんか?

先ほども述べましたが、子どもに投票権はないのです。

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子どもを大切にする国?

学校の役割は「学習」と「コミュニティ」。この二つを他で補えるのであれば、学校へ学校へ行かなくてもいいですよね。

二つの機能を「学び」と「成長」あるいは「自立」という言葉に置き換えるのであれば、フリースクール等の民間施設や民間団体、極論、親御さんが関われるのであればご自宅でもいいんです。つまり、学校以外でも「成長」することはできるのです。

とはいえ、学校を否定しているわけではありません。私自身も過去、教壇に立っていた身として「不登校状態のお子さん」に「学校復帰」を願っていました。(当時は、法整備もなくそこに注力する法人も少なかったですが…)

学校には行かなくて「も」いいという考えです。不登校は選択肢の一つ。学校へ行きたい子は学校へ行けばよい。学校へ行かない子は学校へ行かなくてもよい。問題は、学校行きたいけれでも行きにくい子どもの存在です。行かねばならぬのに行けない。登校することを重圧と感じ自分を責めてしまう子どもの存在です。だれの価値観で生きているのか?生かされているのか?何を求められているのか?…考えさせられてしまいます。

「自分は自分の主人公」のはずです。

子ども自身が学校へ行きたがらないのであれば、無理に行かせる必要はありません。不登校の状態にならざるを得ない要因は千差万別です。机上で勝手にアセスメントしたような感じになり、人の人生をなんとなくプランニングしないでください。学校はそのような「作業」を「ケース会議」として行っています。もちろん、「その子どもを救ってあげたい」…気持ちは尊いですし、ありがたいです。しかし、その会議に居ない子どもの「現在の心理状態」に本当に耳を傾けておられますか?心は止まりません。先述したとおり、不登校状態のお子さんほど、心のスピード感は速いものです。先生方が、他業務を多忙に繰り返しされている正にその時もその子の心は波風高く動いているのです。先生を責めているのではありません。先生の体も一つしかありませんので。

では何が…あえて言いますが「人材」「時間」「場所」…つまり、教育予算です。各自治体によって差異はありますが、ご自身の住まわれている自治体の予算の中で「教育予算」がとれだけ使われているかご存じですか?丁度、9月ですので「令和7年度予算議会」が行われる時期です。

誰のための予算決議でしょうか。

子どもに投票権はないのです。

大人は仕事や生き方、投票もそうです…自分で選べますよね。…子どもはいかがですか?

そして、困っているお子さんを抱えていらっしゃる保護者の声は自治体や国に本当に届き相手にしてもらえているでしょうか?

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痛々しい光景

先日、学校訪問する際、校門の前で泣き叫ぶ子供の声…

手を引っ張り校門へ入れようとされているお母さん。子どもになにやら語り掛けてなだめようとされている先生。静止すると下を向いて涙を拭くお子さんですが、大人がアクションを起こすと途端に泣き叫ぶの繰り返し。

お母さんや先生のお気持ちもよく理解できます。(その後のスケジュールもありますし…)しかし最も最優先されるべきことは、そのお子さんの心模様ですよね。子どもの事情です。

子どもの中には、少数かもしれませんが現実的に、学校に不自由さ(不必要さ)を感じ、自ら学校という選択肢を外す「積極的な不登校」の子どもいます。しかし、ほとんどの子どもは、友だちや先生との関係でうまくいかない、過敏、大集団での不適応等の理由で学校に行くことが出来ず、自らに深い罪悪感を感じています。

「なんでみんなと同じことができないんだろう」「自分はダメな存在なんだ」と、自分を傷つけてしまう子どもたち。(本当は大人のせいなのに)

そんな子どもには、是非、まずは「あなたは悪くない」「あなたがおかしいんじゃない」「大丈夫」と見守り、支える大人の存在と出会わせてください。お母さんがすぐに出来なくてもいいんです。ピンチヒッターでもいいんです。逆に言うと、混乱されているお母さんに「落ち着いて」「大丈夫」「どっしり見守ってあげて」と言っても土台無理な話です。社会のリソース(資源)を活用するよう視点を変えてください。

愛着対象はピンチヒッターでも大丈夫です。お母さんが一旦、休息をとってください。

親子の愛着がピンチヒッターに負けることはありません。

「保護者の役割はとても大きい」というセンテンスをよく耳にされると思いますが、「保護者が全てです」とか「保護者の責任は大きい」という意味ではありません。そういう勘違いしたインプットをしてしまうと場がびくケースが多いです。専門家だけではなく、ママ友でもいいと思います。私が関わらせてきた沢山のお母さんにお聞きすると、ママ友とのランチ、お茶タイムもとっても大きな意味があることが多いらしいですよ。

さて、先生はいかがでしょうか。

「私がなんとかしてあげる!」「私に力量がないから…」と力んであられませんか?

同じことですよね。

学級経営最優先で学校に来ていない子は二の次と思っておられる先生はお話になりませんが…

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②不登校の子どもそれぞれの状況に応じた支援

「不登校の子どもそれぞれの状況…このブログではたしかに「不登校の支援」について注力していますが、今回に記事では、不登校であろうがなかろうが、「子どもそれぞれ」について書かせていただきたいと思います。

欠席29以内であれば、統計上「不登校」ではありません。そして、以前の記事で書いた「長期欠席」と「不登校」カウント、誰がどのように?誰の評価で?…等々、鑑みていただければ、世の中で騒いでいる「不登校約30万人」「10年連続増加」…

私見でご批判を頂戴するかもしれませんが、現在、その統計の仕組みど真ん中で働く私に言わせれば、疑問だらけで厳しく言うと既定路線です。しかし、学者さんや評論家等々、ネット内で論じられている数字はそれをベースに語られています。そりゃそうですよね。その数字に頼って論ずるしかないからです。でもこのブログを読んでいただいている方々は違いますよね。現実実態に目を向けてくださっていると信じています。

ごめんなさい。なにやら悪態をついているようで反省です。

本来述べたかったキーワードは「平等」と「公平」です。

公教育の中で、とある某A市の取組で「中学生の主張」というプレゼン大会があります。とあるB市では「ディベート教育」の推進というものを掲げておられます。

支援学級在籍(知的・難聴・言語・自閉情緒・肢体不自由・病弱・弱視)の児童生徒の参加する権利は?学力に困難さを持っている児童生徒の権利は?発達障がいを持っている児童生徒の権利は?様々な理由で学校へ行っていない児童生徒の参加するする権利は?

公教育ですから平等に告知はされていると信じたいですが、公平に参加することができるようなチャンスは与えられているでしょうか。また、一人ひとりそれぞれに適切なアプローチ(支援・配慮)はされているのでしょうか。

標準の子どもが見える風景について、身長が低い理由で見えない事実に対して、踏み台を用意してもらえているのでしょうか。

もちろん取組の是非を評価しているのではありません。得意分野を更に伸ばしてく仕掛けはとても有意義であると思います。しかし、大会形式にして競争させる必要があるのでしょうか?

その時間…自己肯定感を下げている子どもに対してどんなお得感のある学校生活の価値があるのでしょうか。

「平等」は、大人先導の企画に、みんな揃って「いっせいのうでっ!」

「公平」は、やる前に「これで嫌な気持ちになる子はいないかな?大丈夫かな?」って、子どもたち自身に考えさせる、考えてもらう時間と場所を設定することではないでしょうか。

私は「公平」を大切にしたい人間です。

みなさんはどう思われますでしょうか?

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親御さんの気持ち…

我が子が不登校という壁にぶつかり、不安や焦燥感でいっぱい…当然ですよね。我が子にがぎって…と思わせる現代教育の当たり前や普通という目に見えない圧力が、お子さんや親御さんを苦しめる。ご近所の世間体、職場に迷惑をかける等々、なぜ苦しんでいるご家庭を更に苦しめる世の中なのか。これには日本の教育の歴史にありますが詳しくは機会があれば述べさせていただきますね。

でも、今は「学校復帰」以外にも沢山の選択肢がインフラとして用意されている時代です。活用するまでの決断には相当の時間が要されるケースが多いですが(日本の普通という誰規準か不明の価値観故)、それら選択肢の中から、自分の進路の「納得解」を主体的に決めるのは子ども自身です。選択肢を子どものテーブルに、大人が事前に取捨選択せずに選択カードを提示できるか否かが大切であると思います。

親御さんに出来ること、それは「子どものため」ではなく「子どもにとって」を考えることです。

初めて述べますが、私自身も我が子の不登校の壁に直面した経験ある一保護者です。不安、混乱、焦燥感等でパニック状態でした。恥ずかしながら親子間バトルをしてしまった経験もあります。うちの子の場合は、張りつめていた糸が必然的に突然切れたようなケースでした。中学2年生からパタッと行かなくなり結局卒業まで不登校でした。(その歴史についても機会があれば…)

結論「正解は子どもが自分でつくっていくもの」

「学校ってなんだろう」「仕事ってなんだろう」「教育ってなんだろう」「親ってなんだろう」「子育てってなんだろう」など様々な視点で自問自答を繰り返していました。さらに、自分自身の価値観(ものさし)を振り返り、あらためて、その一つひとつを見つめ直し始めました。その過程の中で、自分のものさしを子どもに当てはめるのではなく、子ども自身の感性や特性を大切にして、子どもの価値観を育んでいってほしい、真っ白なキャンパスを自分色に染めて生きていってほしいと思えるようになったのです。

「この子が笑って生きているだけでいい」という価値観を学び、気持ちが楽になりました。

もちろん学校に行くことで得られる経験やメリットも沢山あると考えていますが、その頃の私たち家族にとって精神衛生上もっとも必要な選択だったと思えています。現在、作業療法士として病院に就職し、奮闘しながらも楽しそうに自分の人生を自分らしく生きさせていただいています。

人生の「正解」は誰にもわかりません。だからこそ、自分が主体的に「選んだ道」を正解にしていけばいいのではないでしょうか。

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①すべての子どもたちが安心して教育を受けられる学校環境の確保

「すべての子どもたちが」…私が思う「誰ひとり取り残されない」ということですね。誰ひとりですよ。現実いかがでしょうか。

「安心して」…私が思う安心ということは、自分はここにいていい。自分はこのファミリーに守られ守っている。所属感、帰属感…「揺るぎなく何ものにも侵されない心の安定」だと思っています。現実はいかがでしょうか。「友だち地獄」(筑摩書房)で、ある中学生が、「中学校の教室は、まるで地雷原のようだ。地雷を踏んだ(=空気を壊すこと)ら、教室にいられなくなる」と述べています。

誰が地雷を除去してくれるのでしょうか…いや、誰が誰らがするのでしょうか。

決して先生を責めているのではありません。しかし、教室において〝しかけ"が出来るのは先生ですよね。教室は一定時間の居場所。子どもたちはSNSの世界でも生きている。…難しい課題です。

「学校環境の整備」…私が思う整備とはハード面ではなくソフト面がより大切だと思っています。

要するに「魅力ある学校」ですよね。子どもが主体的に魅力を感じれば自ず気持ちが向くはずです。

子どもからすると「通いがい」親からすると「通わせがい」があるといいなと期待するばかりです。

そして追記するわけではありませんが、先生にとっても「働きがい」がある学校が素敵ですよね。

みなさんの想う素敵な学校って、どんな学校ですか?

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教育機会確保法

不登校など様々な理由で十分な義務教育を受けられなかった子どもたちのために教育機会を確保するための法律で2017年に施行されました。それにともない同年、文科省も基本方針を策定し通知も出しております。

そもそも憲法第26条ですべての国民がその能力に応じて、等しく教育を受けられる権利が定められていますよね。その権利を保障するために、教育基本法をはじめとした義務教育に関するさまざまな法律が整備されているはずですので必然だと思います。

それでは、この教育機会確保法(正式名称:義務教育の段階における普通教育に相当する機会の確保等に関する法律)の基本理念を紹介しますね。

①すべての子どもたちが安心して教育を受けられる学校環境の確保

②不登校の子どもそれぞれの状況に応じた支援

③不登校の子どもが安心して十分に教育を受けられる学校環境の整備

④年齢・国籍を問わず能力に応じた教育の確保

⑤国・地方公共団体・民間団体などの密接な連携

そして、重要視されているポイントとして「子どもの最善の利益」を最優先に支援することを改めて確認するとともに、支援の際に登校という結果のみを目標にするのではなく、子ども自らの進路を主体的に捉えて、社会的に自立することを重視しています。

これらが法律上のお話です。先生方、まずくないですか?

私の経験上のお話で恐縮ですが、2022年に実施した教職員研修で以上の法律について問うたところ、法律自体ご存じの先生は3割にも達していませんでした。施行から5年後ですよ(泣)。そして学校現場では旧態依然とした生徒指導が蔓延っている状況。(もちろん自己研鑽され、職員室内で旧態と闘い、奮闘されている先生方も多くいらっしゃいます!…比較的、若い先生が多いのはなぜでしょう?)学校は組織です。皆さんが思ってらっしゃる以上に管理職の色によって良くも悪くもなり得るのです。法律を読み込み理解し、そんな実践家の教員を育成しようとっしている学校長はいかほどいらっしゃるんでしょう。

決して学校批判や管理職批判がしたいわけではありません。その上には教育委員会…地方自治体…。監視管理はなんのため?首長の評(票)価集め。自治体間のけん制し合い。

子どもを政治に巻き込まないでいただきたいものです。

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登校渋り

夏休み明け前や直後、いわゆる登校渋りを表出するお子さんが多くいます。月曜日が「ブルーマンデイ」と呼ばれるのと同様、「ブルーセプテンバー」です。表出するのではなく、表出せざるを得ないと考えましょう。表出すると捉えると、その子どもに問題があるように流れていきますもんね。

原因探し(犯人探し)をしましょうか。対応策を考えていきましょうか。…結論、どちらも大事ですね。ただひとこと言えるのは、「子どもが悪いのではない」ということです。突然、人間関係にストレスを感じ始めたのでしょうか。突然、怠惰になったのでしょうか。突然、勉強に不安を感じ始めたのでしょうか。…現象には必ず起因がありますが、突然ということはありません。親子関係、家庭環境の変化等々も同じです。以前も似たようなお話をしたかもしれませんが、繊細な子どもほど心の動きが波風の影響を受けやすく、スピード感も早いものです。お願いですから、現象に対して力技は避けてあげてください。(特に、登校渋りが始まった時期に大人は力技で支援しようしがちです)

では対応策は?…まずは休養させてあげましょう。そして本人が話のできるタイミングで100%傾聴しましょう。「でもね…」「だったらね…」はNGです。それでは誰かさんと同じですよね。味方がいなくなってしまいます。

「おぎゃ~!」とこの世に誕生してきてくれたあの日あの瞬間を思い出してください。

あの時、理屈なんか抜きでしたよね。